週刊的K-GamiGami!!(仮)
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2月10日は特別な日
2011年02月10日 (木) 12:36 | 編集
さきほどツイートした内容をまとめておかせてくださいませm( _ _ )m
少ない文字数で書ききれなかった部分も補足させていただきますね





2月10日
今日は命日。朝から読経す。

伝説の女性だ。
金じゃら金髪イケイケキャバ嬢か?っていう服装でネイルも長めのの姉さんで、マラソン10キロ表彰台常連。
エアロ教師で生け花教師。よさこい車イスチーム他3チームの振り付けと指導。しかも波乗りサーフィンの全道チャンプで、ぬか漬け得意。料理も一通り。一度ススキノの露店で飲んでたら100人以上の知人が代わる代わる声かけてきてビビったっす。生き急ぎ人生だったのかな。活性酸素にやられたと言う説もあるけど。スーパーウーマンの名を惜しげなく贈る。

会ったひと全てを一瞬にして仲間にしてしまう驚異の性格だったな。

命日につき、思い出にふけても良かろう。1度めは友人と共にスノーボードで一緒して、2度めの再会から1週間で入籍し半年後にハネムーン。一年後にベビーを授かり、その一年後に発病~1年半で急逝だもんなあ。夏場は殆んどF1で家を空けていたから可哀想だったし。まるで彼女の子孫を残す担当として僕がいたような感覚すら。

出会って一週間で入籍した時は、二人とも緊張で手が震えたっけ(笑) それまでの僕は女の子をとっかえひっかえのヤンチャな34歳だったけど、この子しかいないって決断に迷いはなかった。 入籍した足でホテルに親を呼び両家初挨拶っていう通常の逆の流れだったっけなー。

1年半の入院期間中に2度の蘇生(死ぬ間際)を経験してましたが、さすがにランナーだけあって体力が最後まであったなー。僕のバルセロナ取材直前には少し歩行ができるところまで回復していたんですけど。自己幹細胞移植で緩解を一度したけれど、白色脳症は進んでて厳しいことは本人も自覚してた。

病名は「非ボジキン悪性リンパ腫」で、リンパのガンでした。最初は筋肉痛かと思った、いつもハードなトレーニングしてたから、次に胸の合わせ目の骨の痛みが出た、異常に痛かったらしい。波乗り時に痛めたと思い込んでいた。最初の街病院では全く分からず数週間放置するも改善せず、次ぎに行った道内有数大学病院で発見、しかしそこでは治療出来ず、すぐに転院。病院内の半分近く無菌室の専門病院へ。それから非常に苦しい自己幹細胞移植を2度行ないました。

4月入籍、6月挙式パーティー、10月ハネムーン、そして帰国してすぐに僕が肝臓病で3ヶ月入院。退院したらもう嫁さんのお腹大きくなって来てて7月に出産。新婚期間があまりにも短いんで、惚れたままってのが辛いところなんですよ。子供生んで1年(育児の難しい時期)で入院生活を1年半だもん。 僕は僕で育児に取材に看病にという生活に追われて。

自己幹細胞移植は、白血病などの治療と似ていて無菌室に幽閉される。しかも体調は最悪に辛いらしいのだが、家族である僕すら移植治療中の数週間の辛い時期には病室に入れなくて、ガラス越しの面会を日に1時間とかだけだった。何もしてあげられなかったね。なにも。

移植の治療が済むと、それから強烈な抗がん剤投与。
これがまたご存知のように脱毛を伴うもの。
子供のため!と治療に打ち込む姿が次第に細くなって行った。

毎日のお見舞い。
ある日朝行くと、口の中がおかしいと言う。
うがいを促すと「口からなんか出て来た」と。
みると口の中一杯に出血した血液が凝固したものだった。

明るい性格の彼女はそれを「デロリ」と呼んで「今日もデロリが出たんだよぉ」と教えてくれた。
口の中だけではなく、内蔵全般から出血しているのだ、と医者から聞いた。

壮絶な治療入院は2年近くに及びました。


よりによってバルセロナに行っている時じゃなくても良いのに。
なんで容態悪いのに取材なんて行くのさ!
いや、取材に行けと言ったのは彼女でしょ?貴男に死に目を見せたくなかったんだよ。

様々な声を頂いたけれど、どれも御意。

享年29歳。
本日命日。

29歳の女性の葬儀で、450人の参列者、100を越える献花。
死してなお祭り好きな彼女は空間を友で埋めてみせた。

あとがきを読んで下さった方々に感謝。
.
.
.
入院看病中はいろいろな人生模様を見ました。

難病病棟だし、たくさんの別れもあった。

新婚3年とかの20代の若い夫婦が、発病後に難病と知り離婚する姿はショックだった。
支えるのではなく逃げるように離婚という人生もあるんだね。

自宅近くの市立保育園は満員だった。
直接赴いて園長に状況を話すと信じられないことに定員を増やしてくれた。
しかも保育士を1人増員してまでそうしてくれた。
市立で入所待ちが何人も並んでいるだろうけれど「働くために入所希望する場合とは全く違う対応」で感謝しても仕切れない。

F1に取材に行っている時の息子の養育をどうするかが大問題になった。
その当時、祖母は近所にいたが調子が悪かった。
だからF1取材に行っている間だけ児童養護施設に預けることになった。
短期間の繰り返しと言う預け方で特殊な事例だった。

祖母の調子が回復して、ほどなくそれは終わったが貴重な体験だった。

入院中の妻が子供に会いに施設に外出許可を得て赴くと、膝をついた部分がダニなどでただれてしまい行けなくなった。
治療のために常人の免疫能力の何分の1にも落ちているからだって医者に言われた。
会いに行きたいけど行けない妻が可哀想だった。

最後の時が近づいているのは明らかだった。
親戚の方が「葬儀の準備とかはしているのか?」と言い出した。
僕は激怒した。
その親戚の方は、なにかと僕を助けてくれている恩人だった。
でも葬儀の準備という言葉に激怒した。

死ぬ準備など、絶対にする気持ちはなかった。
助かると最後まで思って支えていた。

いや、僕にも解っていたけれど。
最初から全部見て来た僕には、全部解っていたけれど。


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コメント
この記事へのコメント
簡単じゃないよな
けんさわ!苦しいかっただろう、嫁さんはもっと苦しいんだよな。今は悔しいだろうけど、後に有難うとお疲れ様って言葉が浮かぶんじゃないかな。相当頑張ったと思う本人はね。きっと、この分お返しはあの世で果たす!と思って向こうで頑張ってんじゃねぇーか。ずっと見守ってくれると思うし、けんさわも一生胸に秘めて生きて行けば良いじゃん。また何十年したらあの世で再会出来るのを楽しみしてよ。
2011/03/09(水) 09:43 | URL | いっせい。 #/Amn5WiM[編集]
あたしも月命日の日に、前の彼のお墓参りに行ってきました。
けんさわさんの奥様の話をしてきました。
彼はどう思ったんだろう。
気になって仕方がありません。
奥様、愛されて幸せだと思います。
安らかに痛みや、苦しみなく、笑ってて欲しいな。
けんさわさんにもたくさんの幸せがこれからありますように。
あたしも今までどおり、毎日大切に背負って生きて生きたいと思います。
2011/03/02(水) 01:07 | URL | やすみん #Poz52EtU[編集]
全米が感動した~
全米が感動した~
2011/02/17(木) 20:23 | URL | ケンちゃんLove! #RAa2TALo[編集]
そうだったのですね
裏F1記のあとがきで拝見していたのですが、壮絶な事情があったのですね。
「サ便。」でのけんさわさん、そこしか見えていなかったので。。。

ご冥福を心からお祈りいたします。
2011/02/12(土) 03:35 | URL | しんしん #a2UIoiFE[編集]
mixiから来たAliceです。
初コメなのに何も言えません。
けんさわさんの写真が好きで。
けんさわさんの文章が好きで。
同じ街に住んでいるのに。
何もできない自分が悲しくなりました。

うまく言葉にできないけど、言葉では表せられない気持ちでいっぱいです。
2011/02/11(金) 23:28 | URL | Alice #YNTZqrg.[編集]
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2011/02/11(金) 22:30 | | #[編集]
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2011/02/11(金) 14:12 | | #[編集]
そうでしたか....。
2011/02/11(金) 11:34 | URL | え #-[編集]
天国にいちばん近い島より
サ便で一度だけ、鈴鹿でキャンプ中の奥様のお写真を拝見した覚えがあります。

素敵な奥様がいらっしゃるんだな~と思ったのですが、最近話題に上らないので気になっておりました。

心からご冥福をお祈り申し上げます。
2011/02/11(金) 05:51 | URL | AQUAの旦那 #jYbOzkUY[編集]
昨日のように・・・・
覚えています。
それは移転前の店の道路を挟んだ駐車場にかなりの雪が積もっていて、へこむのではないかと思う車が1台。

ある日何度か食事に来ていた女性が
「スコップを貸してください。」と、大きなお腹でいらしたの。
話を聞くと主人が入院しているので
今友人が手伝ってくれるので、車の雪を下ろすとの事。
私がその女性に「大丈夫?」と声を掛けたら「普段から身体を動かしているので大丈夫」というような話。

友人と車の雪下ろしを元気にしていたのを店の中からハラハラしながら見ていたの、はっきりと今でも覚えています。

そして後日その頃後ろ髪を束ねて来ていた男性がその方とご夫婦だと判明。
未だその時点ではお二人の職業もしらなかった。

その後判明。

あまり詳しく聞いていなかったので、本日初めて色々と知り最後は字が読めなかった。

素晴らしい奥様だったんですね!

当店の澤田氏の顧客カードの後ろに
当時のお悔やみ欄の新聞を保存しています。
先ほど改めて読み返しました。

「かねて病気療養中のところ二月十日午前二時四十七分、二十九歳を持って永眠いたしました。・・・・」

これからも安らかに・・・・合掌




2011/02/11(金) 03:33 | URL | おばちゃん #Jlv6/qFE[編集]
ゴイスー
そうだったんですか。
裏F1で奥さんの事が分かり驚いていました。

ドラマにしても良いんじゃないですか?
2011/02/11(金) 02:35 | URL | どさんこ #YTqdC3Zk[編集]
壮絶な人生送ったね
今日は命日で、朝から読経。
読んだ僕にも、その心境になるのが分かってしまうほど、壮絶な人生を送った嫁さんだったね。
2011/02/11(金) 00:36 | URL | t-yoko #-[編集]
号泣

それ以外無いです
2011/02/11(金) 00:14 | URL | Z #-[編集]
ツイート見てこちらに来ました。ツイッターでその節はありがとうございました。

今日が命日だったんですね。
奥様にはよさこいで数回お目にかかって指導していただきましたが、その直後に何が起こっていたのか全く知らず、今回初めて詳細が判りました。

短いお付き合いでしたが先生の印象は確かに鮮烈でした。
ホントにキラキラしててパワフルで。まさか直後に病に倒れるなんて信じがたいくらい。

けど一緒に過ごされた期間の密度の濃さ、私みたいな外部の者からは想像もつかないような辛さをご経験されて深い繋がりで結びついたご夫婦だったんだということは文面から伝わってきました。

すみません、うまく言葉が見つけられないのですが、、
美香先生、笑って見守っててくれてるかな?
また会えたら、お久しぶりのご対面のご挨拶をして、偶然ツイッターで旦那様の所にたどり着きましたって笑って報告したかったです。
2011/02/11(金) 00:00 | URL | ska77 #-[編集]
読んで泣けた。
陽気な男の印象しかないケンサワさんがこんな悲しい事を秘めていたなんて。
2011/02/10(木) 21:35 | URL | ダテナオト(仮名) #-[編集]
澤田さんとはじめてお会いした時は、まだ病院に入院されてましたよねぇ

オーストラリアGPへ行くのに大阪経由でしか飛行機が取れなくて、途中で何度も
気遣いの電話をかけてらしたのが印象的でした。Sちゃんもまだ幼くて、きっと
すごく大変な時期だったのに、お仕事に向かわれる貴方は、とても気丈で明るくて
「この方は本当に、大人だなぁ~」と感動した事を覚えてます。

今日は私も静かに黙祷します。
2011/02/10(木) 21:13 | URL | えりこ #swgH5joc[編集]
愛がいっぱいですね(^-^)
著書を拝読させていただき奥様が若くしてお亡くなりになったことは存じておりましたが
大変なご病気だったのですね…
小さなお子様を抱えての闘病とご看病は本当に大変だったことでしょう。

ブログ、ツイッターを拝見し涙が溢れました。
でも、そこには哀しみの中にもお2人の短くとも深く暖かい愛を感じさせていただきました。

奥様のご冥福をお祈りさせていただきます…合掌
2011/02/10(木) 19:21 | URL | kiyo #-[編集]
そんな話聞いたら
泣く(ToT)
2011/02/10(木) 16:41 | URL | あきら #-[編集]
涙がとまらないのです
お子さんに「あなたのお母さんは凄い人だったんだよ」って言ってあげてください。。。もうわかっているでしょうけれど。
・・・・涙が止まらないや。
2011/02/10(木) 15:08 | URL | touch_sapporo #EGTCt1XI[編集]
リンパ腫
ツィッター等でお子さんの話題はあったのですが、奥様の話が無かったので?でした。
こういうことだったのですね。

リンパ腫の患者は何故か増えているようです。
私の父も2年前にこの病気で亡くしました。

この病気はいろいろな治療法があり、父はリツキサンという薬で一時はだいぶよくなりました。
自己幹細胞移植をした方よりは苦しまなかったと思います。

病室から仕事に行ったことを思い出します。
今でも、父のことを思うと涙が出てきます。
もっとやさしい言葉をかければよかったとか…

ありきたりの言葉ですが、
けんさわさんと奥様の一緒に過ごされた時間は短かったかもしれませんが、とても濃い時間だったのでしょうね。
2011/02/10(木) 13:59 | URL | 前くすり現クリプタニウム #uu/6fAxw[編集]
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2011/02/10(木) 13:45 | | #[編集]
言葉がありません。
裏F1記のあとがきを読んで衝撃を受けました。明るく活発な印象しかなかったけんさわさんにそんな辛いことがあったなんて。ただただ涙が溢れるばかりでした。その後もずっとあとがきのことが頭に残ってて・・・。今回詳細を教えてくださってありがとうございました。どんな言葉をかけても薄っぺらに思えてしまいます。ただひたすら素晴らしい奥様のご冥福をお祈りいたします。
2011/02/10(木) 13:42 | URL | ハミイ #Xnq8k9Uo[編集]
涙が止まりません。
いろいろな愛を感じました。
人を愛するという事を、まだ知りません。

そんな私を愛していた田舎の母が乳ガンに。

都会で働く私。
仕事も軌道に乗り始めの私にとっては、いろいろな面で辛い事でした。

ただ、ただ、ケンサワさんの日記を見て、自分がどうすべきかのヒントをもらいました。

ありがとうございます。
奥様が天国でも元気いっぱいである事を願います。

26歳の女の子より
2011/02/10(木) 13:25 | URL | KIKI #XV0Ebfts[編集]
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2011/02/10(木) 13:01 | | #[編集]
泣きました
著書拝読させていただきました。
奥様とのエピソード壮絶ですね。
感動いたしました。
2011/02/10(木) 12:41 | URL | namsan #mQop/nM.[編集]
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