週刊的K-GamiGami!!(仮)
思ったより続いてるけど、更新頻度低くてごめんね。がんばります。でもTwitterが熱いね。
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F1と契約
2011年07月31日 (日) 12:48 | 編集
小林くんがザウバーとの契約延長を行いましたねー。

聞いていた通りのことでしたから驚きはしませんでしたけれど。

ツイッターとかでは僕も「フェラーリに行けー」なんて叫んできましたけれど、現実は厳しいんっすよw

複数の証言を重ね合わせると、やっぱりT社の契約は厳しく小林選手の移籍を制限しているらしいですねー。

その契約の残る来年いっぱいまでは身動き取れない。

これ、F1に限らずサッカーとかでも「完全移籍」なんて言われる形の移籍の契約を聞いたことがあるかもですけれど、トップアスリートの契約は分厚くて複雑ですからねー。

来年の夏前くらいに、再来年の移籍先を発表するんじゃないのかな。
その時にトップチームに行けることを願いましょう!!!



というわけで、このブログのカウンターが3,500,000になることもあり、
少しだけ走った記事を書いておきましたとさwww


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東大児玉教授提言
2011年07月30日 (土) 11:30 | 編集
7月27日に国会の委員会で参考人として証言した東大の児玉教授。

僕は28日の夜中にそれを知って、29日の午後からこの重大提言の拡散キャンペーンを繰り広げることにした。

ツイッターでは僕などよりもずっとフォロアの多い方々も次々と拡散を始めているし、それを見た方々からの驚きと感銘の声もたくさん届き始めている。

児玉教授は、とにかく内部被曝の危険性と、現在の計測システムの未熟、そして安全地域から危険地域へ毎日こどもを逆避難させているような現状他、とても信じられないような事実を伝え、同時に改善意見を低予算で叶える方法を提案し、その上で国家への東電への怒りも表明している。あまりにも素晴らしくて、あまりにも勇気のある発言が多くて、あまりにも自分が無力で、そしてどうしてもこの重要意見を広めたくて、それでキャンペーンを開始した。


児玉教授(58)には素晴らしい奥様がいらっしゃるが、肝臓を病まれ児玉教授の生体肝移植で命を分け合い、また感動的な息子さんがツイートでそれらの事実を伝えてくれていて、全くもって人間性の伝わる方で、もう信じるしか、ないので、、ある。


児玉教授の無念の気持ちを代表する証言がここにある。
参考人の意見陳述の後に行なわれた質疑応答の一場面だ


引用開始=

高橋千鶴子(国会議員)
ありがとうございました。最後に児玉参考人に伺いたいんですけれども、まさしく今日、内部被曝の問題がずいぶん話題になりました。また遠距離被曝ということも、いま沢田先生からだいぶ指摘されましたので、そういう観点でずっと除染作業もやってらっしゃる先生から一言うかがいたいと思います。

児玉教授
私、放射線取扱者に1977年になりまして、1995年から放射線取扱主任として、除染と規制に関わっております。
それで今まで科学技術庁告示、平成12 年から我々がやらされていたことを、ひとつだけご報告しておきます。
それは、例えば妊娠可能な女子については、第五条四項で内部被曝を1ミリシーベルト以下にする。それから、第六条第三項、妊娠中である女子の腹部表面については、前項第四号に規定する期間につき、2ミリシーベルト。
これを規制されてこの規制を守るべく、三十年やって参りました。ところが、福島原発の事故で、広島原爆20個分の放射線が撒き散らされた途端に、このような基準がすべて反故にされている。

先ほど福島県の議員から「どのようにしたら安心か」というご質問がありました。私は安全に関しては、基準を決めたら、危機になったら、それを変えていく格好では、ダメだと思います。
いま今年できないかもしれないけれども、来年までにその基準に持っていく、再来年までにはこうするとうことがなければ、住民が安心できるわけがないではありませんか。
そのためには最初から申し上げている通り、広島原爆20個分の、天然にないセシウム137を撒き散らした東電と政府の施策を反省し、これを減らすため全力を挙げる以外に安心できる解決などありえないのです。
そのことを抜きにして、どこが安全だという議論をいくらやっても、国民は絶対に信用しません。


~引用ここまで




無念。


平常時により低い値で運用されている安全基準が、原発事故を受けて緩く改訂される。

これは、どこから、どう考えても、納得できないのである。

通常運用の値を尊重し、避難させ、安全を確保してくれなくては困るのである。

それを基準を緩めて「安全です」と言われて、誰が信用するというのであろうか。


質疑応答部分(勇士さんによる書き出し)
http://famasaki.com/japan/20110729105723/



「け」による拡散キャンペーン
クラスタ諸君に告ぐ。今夜のミッションは http://bit.ly/oaE0WO この動画を広く知らしめることである。児玉教授による緊急提言。放射線内部被曝などに関する大変な事実が多数述べられている。たったの16分少しの動画だ。必ず!頼んだ!!


拡散キャンペーンビデオ分の書き出し文章(勇士さんによる書き出し)
http://bit.ly/q8Bvxx



そして、児玉教授の家族愛を教えてくれる息子さんのツイッターアカウントは
http://twitter.com/a_kodama

「俺は、この人の息子で良かった。」

このひと言に、感謝。
ステップアップ
2011年07月28日 (木) 21:23 | 編集
モータースポーツは危険なスポーツに位置づけられていますよね。

ドライビングミスによって自分自身は愚か、レースしているライバルにも、場合によっては観客やオフィシャルにも危険が及ぶ可能性がある。

だから、レーシングカートのキッズ時代から、次第にステップアップしながらそれぞれのクラスに応じたスキルを身につけて上に登って行くスタイルが確立されています。

それはそれぞれのドライバ-や関係者に取っては儀礼のようなもので、通過しながら「オーケー。きみは上に登ってよろしい」という許しを得るような部分がある。
逆に言うと、幾らお金があったって、カートから上がったばかりのフォーミュラ未経験者にはF1に乗るスーパーライセンスは発行されないわけです。

底辺フォーミュラから経験を積んで、しっかりスキルを高めてから登って行くことを求められる。

F1に至っては、多くのドライバーが底辺フォーミュラ時代にチャンピオン争いくらいのことは経験している。

今、英国F3を見ていて、少し違うなーと思うことがあったので、関係者や裏の仲間達の間では「おいおいおいおい、大丈夫かい?幾らなんでもアレじゃマズくないかい?」という疑問の声が囁かれて来ました。

その選手は、我が国の選手で、低年齢であることの記録などを次々と打ち立てて来ています。

才能のある子です。
それはきっと間違いない。

しかし明らかに気になる。
それはステップアップに無理を感じるということ。

下位フォーミュラから、コンペティションレベルの高いクラスに移った時、それが明白になった。

乗り始めてすぐに二台のマシンを全損に近い状態にクラッシュさせてしまう。
命が助かったのはせめてもの慰めだが、それは先人達が用意してくれた安全なマシンがあったからこそ。
先人達が命を失ったり、重大なクラッシュで身体に障害を残したり。
そういった過去の経験の上に、今安全なマシンが用意され、ドライバー達の安全は随分確保されるようになった。

だからといって、今のマシンが安全になったからと言って、ステップアップを急ぎ、危険に身を晒し、全損近くのクラッシュを経験させ、無理強いするように闘いに臨ませるのが良いことなのかどうか。
少なからず疑問を感じるのだ。

おそらく彼とその関係者には予算があるのであろう。
上に載せる予算があるから載せているのだと思う。
それによって「史上最年少記録」を次々刻める。

でもその内容を精査すると、またここで疑問が湧いて来る。

最年少エントリー。
最年少完走。
最年少優勝。

エントリー2台のクラスで、1台がスタート直後にリタイヤし、ルーキークラスなるクラスで優勝ということ。
またはたった1台しかないエントリーで、完走したから優勝だという報じ方。
あるいは、完走すらしていなくても、1台であれば出るだけでルーキークラス最上位。

問題はタイムだ。
経験がなかろうが、クラッシュ多発していようが、ルーキーが1台しか走っていなかろうが。
タイムが出ていれば周囲も認めるところなのはモータースポーツの世界。

でもそのタイムも、ルーキークラス使用シャシー&エンジンが旧モデルのために「劣ったスペックのマシンで大活躍」と報じられて、ここにも違和感を生む。

僕達は本物のドライバ-が登って行くことには異論はない。

そして彼はきっと、僕の感じるところでも才能が見える。

それだけに、
関係諸氏に問いたい。

あれだと、かえって評価を下げているのではないか?

順当なステップアップで、順当に勝ちながら上がって行くというルートを外れ、
史上最年少記録を追う。

最年少記録の時代など、直ぐに過ぎ去ってしまい、本当のコンペティションに晒された時に、彼の経験不足が露呈するように思えてならない。

いや、
あくまで老婆心だから。

そんな外野の声なんて吹っ飛ばして、立派な選手に花咲けば、それはそれで良いんだけどね。


でも、
お金とプロモーションだけで上に上がって行くと、少し怖いんです。

だから書いてみました。

身辺整理w
2011年07月12日 (火) 16:30 | 編集
レーシングな「けんさわ」や「け」と比べて、澤田賢志ってヤツはかなりやっかいな人物だと僕は考えている。
行動規範が定まっていないヤツで、動くんだか動かないんだか動けないんだかわかりゃしない。

僕自身、澤田賢志との付き合いは生まれてからズッとだから50年。
ヤツを見続けて来ているから「まあ、この展開なら動かないんだろうな」とか予想はある程度つくものの「おいおいおいおい、動けよ、う、ご、け!」って押しても動かない時がイライラする。


動き出したら怒濤の勢いになって、どんな人類よりも恐ろしい結果を生み出す可能性は知っているから、まあ放置する部分もあるのだが、それでもいい加減にしろ!と思うことがとても多い。

実は澤田賢志は、昨年いっぱいと今年の震災前後くらいまで「どーなってもいいや」という投げやりな時期を過ごしていた。
原因にはプライベートなことを含むので、あまりここでは詳しく書かないけれど、全部失ってアルバイト店員かなにかで息子の授業料だけ払えれば良いかもしれないくらいまで落ちていた。

そうやってプライベートが充実していなくて、けんさわをやっても、やはりそれがオーラとなって表現され、レーシングチームの雰囲気も今ひとつ、というか過去最悪に見えて来てしまった時期もあった。
O&K開設以来、忘年会をしっかりやらなかったのは初めてだったし、営業最終日の「ダラダラ飲み会」にも、いつもなら三々五々集っては散開する仲間達が殆ど集まらず、数人で寂しく行なったりしていた。

もうどうなっても良いや。

そんな心境の代表が率いるチームの成績が上がるわけもなく、リザルト的にも最低の1年だったとおもう。


まずそこに、けんさわ本の編纂と言う怒濤の仕事が舞い込み追われ、
次に西山御大の訃報に触れて鈴鹿行きの弔い合戦モードに入り、
チーム運営よりも「これをしっかりやったら、もういいかなー?」等と考えた時期すらあった。

その気持がオーラとなって発され、年末までそのモードのまま進むことになってしまった。

年が明けて、210ブログを書く心境になり、書き、そして多数のコメントを頂いた頃から、少しずつだが自分の中に新しい芽吹きが吹き出して来た。
言わないで書かないで来たことを書いて、スッキリしたのもあるだろうが、それ以上に「ああ、そうか、授かった命なんだっけ。そうだよな、そうだよな、そうだよな」と深く考え直した。

新企画を打ち出したり、チームの体制を整え代えたり、体制を少しずつ春モードにする中で震災が起こった。

ツイートをご覧になっていた方ならご存知だろうが、ぼくはかなり狼狽し、案内し、情報を発し、暴れた。

こんな南海の孤島のようなツイートで、いったい何人の被災者フォロアに届くのかとか、そんなこと考えもせずに動きまくった。
1人でも救いたかったし、一人にでも届けば良いと思った。

そうやって暴れた中で、何かが変わった。

4月の声を聞くと、僕は「昔の、最高に楽しい、最高にけんさわっぽい自分に戻ろう。もう50の落ち着いたオヤジをするのはこりごりだ」と考えるようになって来ていた。

中2で男のギャグセンスは完成し、芸風不変の法則を唱える持論に乗った(笑)

4月から中2の自分に戻ることにした。

するとどうだろう。
自分の周りに環境に変化が出て来た。
それは自分でも驚くほどだった。

まず来訪者がとても増えた。
不思議なもので、人が人を呼ぶ感じで、楽しくて仕方がない。
来てくれた人々にも、例え一期一会の人とわかっていても楽しく接した。

コンビニの店員さん、ガソリンスタンド、高速の料金所、どこに行っても、誰に接してもひと言会話する。
これは昔の僕の特徴であったのだが、数年の間封印していたことだった。
それをし始めるとまた、新しい出会いや情報や楽しいことが増えることになった。

コンビニのおばちゃんにだって、可愛がられれば良いことあるしw

夜遅くても、朝早くても、絶対に面倒がらずに付き合う。
これも復活した。

もともとそうだったのだが、プライベートな理由で中々できないでいたことだった。
それが吹っ切れた。

今は、夜中の2時に寝て、朝3時半に起きて活動、なんていうこともしているけれど、それだって誰にも止められなければ僕の好きな生き方だったんだ。

クッタクタになって帰宅後に、外から遊びの誘いがあれば、一瞬でも出かけて行って顔を出して来るのが自分だった。
それが5-6年前から半ば禁じられるような格好で出来なくなっていて、自分らしさを封印されることで自分を見失って行ったのだと思うところもある。

らしさ、らしい、らしく。
これが春からのテーマでもある。


新メンバーとの出会いも多くなったし、従来のメンバーとの交流も今まで以上に気持ち良く行なおう。
それは心がけるというよりも、自分に戻れば自然にできること。

だらしない時代に、澤田賢志がやらなかったことをもういちど身辺整理して、レッツ再スタートという気分で夏になった。

なんだか風水や気や流れというのはジンクスめいているけど、時計や表示のぞろ目を見る頻度も倍増して嬉しいばかりだ。

おもしろいよなあ。

澤田賢志。
やっぱりきみはアクシヨーンを体現しないと生きて行けないんだよ。


思い起こせば、一度一部上場企業に勤めた後、札幌に戻ってフラフラと何もせずに暮らしていた僕は、とにかくイベント会社に入り浸って毎晩麻雀要員として使われていた。
だいたい月のギャラの半分以上は麻雀につぎ込むだけみたいな時も多かったけれど、あの時の人材交流からイベント会社に請われてその後の約10年をイベント畑で暮らした。

イベント会社を辞めて、北米一人旅を終えて帰国してからずっと、フラフラと何もせずに暮らして、何もしないで寝てばかりいると頭が痛くなることを知るほど何もせずいたが、そこに飛び込んだF1の世界へのチャンスをモノにすることができたのも完全フリーな身分だったから。
それから10年は面白くて仕方がない時期を過ごした。

伴侶を失って、かなり狼狽しつつ、息子のためだけに生きるような精神状態も含みながら、一昨年までの10年はあっという間に飛び越えた。
2008年でF1に一区切り付けて、2009-10年は流浪の精神状態だった。

そして今年。
その流浪の年代を終えたと思う。
これからの10年が見えて来ている。

澤田賢志が動きそうだ。

「けんさわ」や「け」に激励されて、澤田賢志モードもかなり充実を取り戻している、そんな夏です。

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